旧早水家
早水家の建物は、もともと大聖寺藩の足軽屋敷として江戸時代末期に建てられたものと推定される。藩政期の古地図を見ると、この場所は、天明年間には「生駒」弘化年間には「瓜生」と表記されており、早水家がここに住まいしたのは幕末から明治期以降のことと考えられる。
建物は平屋で、6帖の和室を中心に納戸や押入れ・縁側を付けて、外部から見えるよりも部屋数は多い。明治以降に増築・改修された個所もあるが、ほぼ原形を保っている。
修理後
修理前
正面側は後の改修で外壁は下見板やトタンがはられていました。
妻壁は白漆喰塗りを外壁は杉板削ぎ重ね張りで修理しました。厠にあった窓も再現しています。
雨漏りによって腐食も激しく、一冬も越せない状態になっていました。
後の増築してあった痛みのひどい所は撤去しました。
背面の写真です。こちらも状態は悪く、下屋根は腐食が激しかったです。
下屋根は垂木・野地板を全て取替え柱・桁も悪い所は取替えました。床下換気柵も取付けてあります
屋根のトタンの下に当時の木羽葺きが残っています。
大屋根は既存の木羽葺きを残し、その上に杢下地をしてガルバニウム鋼板を葺いてカバーしてあります。
竹林が近くにあり、床下から天井まで竹が生えていま
す。床下は抜落ち天井も竹によって一部破損しています。
座敷は雨漏りによる壁の崩落、床下の腐食がひどく、
山側の方には竹が生えてました。
縁側とその奥に坊様の厠があります。
床下の整地からやり直し、床組みの取替え、建物の傾きと不陸も随分直りました。一部の柱は入替え、壁は荒壁塗り押えで仕上がっています。
こちらも、整地からやり直し、床組みを取替えています。壁は砂壁塗りで仕上げました。
屋根は垂木・野地板から取替えました。厠も再現してあります。