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お問い合わせ先
- 928-0236
- 石川県輪島市町野町
- 金蔵ソ−121(正楽等方)
- NPO金蔵学校
- TEL: 0768 32-0891
- FAX: 0768 32-8910
- メール
年号 | 西暦 | 記事 | 出典 | 金蔵寺由来 | 慶願寺/円徳寺由来 | 正願寺/正楽寺由来 | 井の池館由来 | 金蔵村の変遷 | |||
古墳後期 | 大川古墳群出現 | 大人の足跡伝説(縄文時代) | |||||||||
(崇神朝) | 四道将軍大彦命北陸に遣わされる | ||||||||||
(成務朝) | 彦狭島命を能登国造とする | 国造本紀 | |||||||||
飛 鳥 時 代 708 |
大化 1 | 645 | 大化改新 | ||||||||
白雉 2 | 651 | 金蔵寺開基と伝える | 伝承 | 白雉山金蔵寺草創 | 行基:668〜749 | ||||||
白雉 3 | 652 | 岩倉神社鎮座すると伝える | 伝承 | 泰澄:682〜767 | |||||||
白雉10 | 660 | 3月 | 能登臣馬身竜 阿部氏に加わり従軍 | 日本書記 | 弘法大師:774〜835 | ||||||
奈 良 時 代 782 |
和銅 3 | 710 | 平城遷都 | 行基 千手観音像を | 一夜塚伝説 | ||||||
和銅 5 | 712 | 古事記完成 | 刻んで設置 | (古事記にちなんだ大人の | |||||||
養老 2 | 718 | 僧泰澄 白山開山 | 白山宮別当松習院 | 足跡伝説つくられる) | |||||||
養老 2 | 718 | 5月 | 能登国 越前より分立 | ||||||||
天平13 | 741 | 12月 | 能登国 越中国に併合 | ||||||||
天平20 | 748 | 羽咋郡擬主帳に能登臣乙美 | 万葉集 | ||||||||
天平21 | 749 | 春 | 大伴家持 巡行 | 万葉集 巻17 | |||||||
勝宝 5 | 753 | 10月 | 大屋郷舟木秋麻呂 | 正倉院宝物銘文集成 | |||||||
鳳至郡大領 能登臣智麻呂の名みえる | 藤原系の流れが入る | ||||||||||
宝字1 | 757 | 5月 | 能登国 越中国より分立 | (現在に伝わる家訓: | |||||||
平 安 時 代 1190 |
延暦11 | 792 | 6月 | 能登国 建児を50人と定める | 弘法大師により | 「藤のはばきを | |||||
延暦13 | 794 | 平安遷都 | 真言宗となる | はくことならぬ」) | |||||||
大同 3 | 808 | 10月 | 能登郡の越鮴駅以北6駅を廃止 | 日本後紀 | |||||||
能登国鳳至郡に5郷が見える | 和名抄 | 現在の東院内村に草創 | がんのこ伝説 | ||||||||
貞観 1 | 859 | 1月 | 渤海入勤使鳥考慎ら珠洲郡来着を奏す | ネブの木(現在の徳成)に | |||||||
元慶 1 | 877 | 12月 | 能登 佐渡に初めて検非違使1人を置く | 年代不明 | 草庵草創 | 井池先祖屋敷構える | 弁財天草創 | ||||
岩倉山 金蔵寺 | |||||||||||
康治 2 | 1143 | 10月 | 若山荘立券(若山荘官領主;松波氏、本庄氏、山方氏) | 七堂伽藍八坊が形成さる | 町野院時代の郡衛の官人 | 千石在所形成 | |||||
若山荘官打波右衛門尉みえる | |||||||||||
久安 1 | 1145 | 町野荘 下町野荘が立券 | 不動明王(座高12尺) | (大西山、小西山、東院内一部 | |||||||
久安 3 | 1147 | 4月 | 延暦寺の僧 網ら白山宮末寺化を要請 | 明千寺より移す | 田長、桶戸、徳成一部) | ||||||
仁平 2 | 1152 | 9月 | 白山宮 延暦寺の末寺となる | 大蔵院きつね伝説 | |||||||
寿永 2 | 1183 | 5月 | 倶利伽羅合戦 | 根来伝来掛軸、御膳所蔵 | |||||||
寿永 3 | 1184 | 4月 | 源頼朝比企朝宗を北陸に勧農使として派遣 | 金蔵寺寺領550石 | |||||||
文治 1 | 1185 | 9月 | 平時忠 能登に流される | ||||||||
文治 2 | 1186 | 長谷部信連鳳至郡大屋庄地頭となる | 平時忠 来宅の伝承有り | ||||||||
若山荘代官本庄宗政みえる | |||||||||||
文治 5 | 1189 | 2月 | 平時忠 能登配所で没す | ||||||||
三善一族(町野氏)町野地頭で見える | |||||||||||
鎌 倉 時 代 1334 |
元久 3 | 1206 | 平時忠 17回忌 若山荘大谷の住 平兼基 | 八幡宮寺大般若経奥書 | 現在地に井の池館築造 | ||||||
建暦 2 | 1212 | 2月 | 能州上町野庄八幡宮 | 〃 | |||||||
承久 3 | 1221 | 9月 | 能登国四郡公田田数目録案成立 | ||||||||
元仁 1 | 1224 | 10月 | 能登国田券牒を進む | ||||||||
正嘉 2 | 1258 | 若山荘地頭に茂木氏見える | 我児坂に移る(年代不明) | 松の腰に移る(年代不明) | |||||||
正応 6 | 1293 | 3月 | 九条家文庫目録に町野関係文書 | 九条家文書 | 真言宗池の坊と称す | (松原坊と称す) | |||||
室 町 時 代 |
建武 3 | 1336 | 8月 | 九条家所領に能登国町野本庄 | 〃 | 金蔵城砦築 | |||||
観応 1 | 1350 | 11月 | 桃井義綱 能登守護となり京より下着 | ||||||||
若山荘代官に本庄氏と齋藤右衛門尉みえる | |||||||||||
貞治 2 | 1363 | 若山郷地頭嶋田氏見える | |||||||||
馬?浦に玄本みえる | |||||||||||
貞治 3 | 1364 | 町野荘麦生村預所に菅原尚重氏見える | |||||||||
貞治 6 | 1367 | 12月 | 若山荘山方城の山方六郎左右衛門滅亡 | ||||||||
応安 1 | 1368 | 若山荘地頭に本庄氏見える | |||||||||
応安 2 | 1369 | 9月 | 能登守護吉見氏預かる 桃井直和軍と交戦 | 栄宗 34才 | |||||||
下町野荘内金蔵寺見える | 八幡宮寺大般若経奥書 | 大般若経写経50巻所蔵 | |||||||||
応安 3 | 1370 | 若山荘地頭に山方氏見える | 下町野荘内 町野本庄金蔵 | ||||||||
応安 6 | 1373 | 町野本庄金蔵寺見える | 八幡宮寺大般若経奥書 | 金剛佛子 栄海57才 | |||||||
木郎郷領主松頼氏みえる | 金剛佛子 幸栄26才 | ||||||||||
元中 8 | 1391 | 畠山基国 能登守護となる | 武人にならず長百姓と | ||||||||
応永 3 | 1396 | 4月 | 町野荘年貢を守護畠山が請け負う | 九条経教遺誡 | 九ノ田に移る | 変わっていった | |||||
応永30 | 1423 | 8月 | 能登国町野荘和住村本郷領家 | 松田基秀売券(幕府奉行人) | |||||||
宝徳 2 | 1450 | 6月 | 畠山宗家内紛 能登畠山義忠は義就方となる | ||||||||
(後に西軍になる):松波城主 | |||||||||||
文明 5 | 1473 | 創立慶順;蓮如上人に帰依し | |||||||||
文明 9 | 1477 | 畠山義統 能登に下国し守護支配を強める | 真言宗より浄土真宗に改宗 | ||||||||
延徳 2 | 1490 | 能登国一揆失敗する | |||||||||
永正 4 | 1507 | 町野郷 南志見郷 大屋湊 諸橋郷見える | 岩倉寺棟札 | 金蔵中の坊岩倉寺へ寄進 | 了西住職顕如上人に帰依し | ||||||
大永 6 | 1526 | 天台宗より浄土真宗に改宗 | 勢至菩薩の仏田という | ||||||||
大永 7 | 1527 | 金蔵荘焼き討ちされる | 町野村志/慶願寺古雀 | 焼失さる | 焼失さる | 焼失さる | |||||
天文 5 | 1536 | 5月 | 将軍足利義晴御内書に文国能州町野庄が見える | 室町家御内書案幕府御料書 | 白雉山金蔵寺再建 | ||||||
天文15 | 1546 | 11月 | 畠山氏能登一国徳政令発布 | 寺下保に | 年代不明 | 勢至様の安置 | |||||
天文19 | 1550 | 能登国内乱起きる | 七堂伽藍八坊を再形成 | 現在地(金蔵寺中の坊跡)に移る | |||||||
永禄 8 | 1565 | 12月 | 阿岸本誓寺の黒島、穴水、河原田、町野四組の | 庁宣口の地蔵尊 | |||||||
群中門徒組織成立 | 大山の不動明王 | ||||||||||
永禄10 | 1568 | 竹の袖の観音 | 11代顕如法主より | ||||||||
元亀 1 | 1570 | 9月 | 能州鈴群町野庄岩倉寺見える | 大塚連家寄進状 | の仏像三体預る | 見敬山・慶願寺の寺号賜る | 慶願寺教順(2代)に嫁す | ||||
安 土 ・ 桃 山 時 代 1596 |
天正 4 | 1576 | 11月 | 上杉謙信能登侵攻 | 北の坊仏具佐野寺へ | 石山合戦に門徒召し連れ | 金蔵村 715石高となる | ||||
天正 5 | 1577 | 9月 | 上杉謙信七尾城攻略 | 東の坊仏具高田寺へ | 石山に籠城 本願寺に加勢 | (西山285石枝地になる) | |||||
天正 6 | 1578 | 8月 | 長連竜能登侵攻 | 分配 | その功により後に | ||||||
天正 9 | 1581 | 8月 | 前田利家 能登一国を与えられる | 松原山・正願寺の改号になる | |||||||
天正10 | 1582 | 能登各地で検地施行 領内の大社寺保護 | |||||||||
天正11 | 1583 | 前田利家 加賀二群を加増 七尾より金沢に移る | |||||||||
天正12 | 1584 | 教順(2代住職)により | 宗栄(14代)の料見で | ||||||||
天正13 | 1585 | 6月 | 能登各地に開墾奨励 | 現在の地(西の坊)に移る | 慶願寺に禄高もたせる | ||||||
天正17 | 1589 | 三給人御知行分高付けの帳に金蔵見える | 時国家文書 | 時国文書に井池見える | |||||||
慶願寺正順(3代)に嫁す | |||||||||||
江 戸 時 代 |
慶長 6 | 1601 | 善了(3代住職)正願寺と改称 | ||||||||
慶長 9 | 1604 | 十村制度化 | 親鸞聖人御影の裏書きに | ||||||||
慶長11 | 1606 | 土方領能登に移す | 正願寺の寺号あり | ||||||||
元和 5 | 1619 | 4石8斗8升持ち高 | 19石8升高持ち寺院となる | 11石1斗4升持ち高 | |||||||
正保 | 1644 | 金蔵村 483.6石高 | |||||||||
万治元年 | 1658 | 万治元年死亡の宣如上人 | (田長、桶戸、徳成一部分かれる) | ||||||||
御染筆に見敬山・慶願寺の寺号あり | |||||||||||
寛文 | 1661 | 金蔵村 515石高 | |||||||||
寛文10 | 1670 | 火災により焼失 | 御堂建立 | 三王権現社火災により焼失 | |||||||
寛文11 | 1671 | 不動堂建立 | |||||||||
元文 | 1740 | 時国家へ嫁す | |||||||||
寛保 3 | 1743 | 白雉山金蔵寺本堂 | |||||||||
天明 6 | 1786 | 奉造立 | 下町野郷金蔵村 | ||||||||
文政 4 | 1822 | 本堂再建 | |||||||||
天保10 | 1839 | 勢至様の祭り司る | 金蔵村 547石 | ||||||||
慶応 | 1865 | 寺小屋開かれる | 弁財天祭り司る | 山王権現社祭り司る | |||||||
1868 | 所持坪持ち裁許 | ||||||||||
明治 初 | 廃仏毀釈令 | 竹内林徳手水鉢寄進 | (25代)伊三郎 | 保生池隧道作る | |||||||
明 | 明治 5 | 1872 | (笹川石で刻みソリで搬送) | 区会所開設(町野、柳田、南志見) | |||||||
治 | 明治 7 | 金蔵小学校を置く | (火事に見舞われ | ||||||||
時 | 明治 8 | 1875 | 7棟焼失) | 郵便局開設(町野、柳田、南志見) | |||||||
代 | 明治 9 | 御仮屋に小学校を移転 | |||||||||
小学校を移転 | |||||||||||
明治16 | 金蔵村と柳田村で雨請い流血騒動 | ||||||||||
明治22 | 1889 | 西町村金蔵 | |||||||||
明治23 | 1890 | 光忠 西町村長 | 金蔵 574石 | ||||||||
明治30 | |||||||||||
明治36 | 1904 | 光忠 県会議員当選 | |||||||||
明治39 | 御仮屋に小学校移転 | ||||||||||
明治41 | 1909 | 町野村へ合併 | |||||||||
明治42 | 1910 | 金蔵信用販売購買 | |||||||||
坂上五左エ門虹梁(ケヤキ)寄進 | 組合設立 | ||||||||||
1912 | 大正 7 | 1918 | 本堂再建 | ||||||||
昭和 8 | 1933 | 組合騒動で没落 | 三社祭り統合 | ||||||||
昭和31 | 輪島市町野町金蔵となる |
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