金蔵学校のロゴ金蔵学校って、元気な町やね

金蔵集落の風景水を引いた田んぼの風景
(写真=盆地にある棚田風景)

金蔵村は、古くは金の鶴が舞い降りたとされる「金の鶴伝説」より始まる。白雉年間の開基とされる「岩倉山金蔵寺(いわくらざんかなくらじ」は村の中核で、集落全域に七堂伽藍八坊を構え、寺領として勢力を持ち、町野荘本圧として栄えた千石在所である。


室町時代

室町時代(1527年)、能登守護の畠山氏の手により、全村焼き討ちとなったが、支通の要衝としてその後も栄え明治初期には一早く、区会所や郵便局、駐在所、小学校が建設され、又、棚田の水源を確保するため、人の溜地の「保生池(ほしゅいけ)」やこれに通じる180mの隋道を完成させ、その土木技街の高さは、当時の大きな話題となった。現在は86戸にすぎない集落だがこのように以前は旧町野荘における文化の中心地であった。

 

 

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